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歴史

アメリカ北西部の太平洋岸では、金箔充填(ゴールドフォイル)の勉強会が活発でした。鋳造金修復(キャストゴールド)勉強会は、その勉強会の延長線上にあります。窩洞形成のデザイン、審美、仕上げの仕方のみならず、治療の品質という点において、金箔充填法の影響をとても強く受けています。簡単ではありますが、歴史を振り返ることで、新旧のメンバー問わず、意欲の向上につながることを期待します。

ワシントン州ファーンデールの開業医であるリチャード・タッカー先生は、ワシントン州ベリンガム出身のジョージ・エルスパーマン先生の影響を強く受けています。エルスパーマン先生は、シアトルデンタルスタディクラブ12人のオリジナルメンバーのひとりです。彼は晩年にはバンクーバー・フェリエー金箔充填勉強会の創設者・指導医となり、そこにタッカー先生がメンバーとして加わりました。エルスパーマン先生が引退された後は、ジェラルド・スティブ先生が指導医となりました。

これら偉大な二人の臨床医の影響を受けて、タッカー先生は鋳造金修復法(キャストゴールド)を使った歯質温存療法の実験を始めます。適合、研磨、仕上げにおいて、多くの金箔充填の技術を取り入れました。高速エアータービン切削器具の発達に伴い、インレーだけではなくクラウンのような形成も可能になり、1/4顎単位で行う治療法が一般的になってきました。

以前は、手用切削器具による地道で時間のかかる窩洞形成が一般的でした。しかし、タッカー先生は、エアタービンを使うことで、より早く、より簡単に形成できることに着目し、治療手順の大半に用いることに加えて、面や壁を削り出したり滑らかにすることにも使いました。それから、手用切削器具のチゼルとマージントリマーを改良することで、今までは机の端から端まで並んでいた数十本の器具をわずか数本にしました。

歯質を温存するという基本理念を残したまま、金箔充填向けの窩洞外形は、様々な鋳造修復に合わせエアタービンによる窩洞外形へと改良されました。鋳造修復のアイデアが発達することで、逆に金箔充填も進化を遂げることになりました。タマゴ形をした12枚刃バーの登場によって、さらに革新的で簡単に歯質を温存する窩洞形成ができるようになりました。

完璧な鋳造法を追求することで、インレー体の窩洞への適合は驚くほど正確になりましたが、マージン部だけはどうしても合わせることができませんでした。ここに金箔充填の研磨・仕上げ手順を応用することで、合着材を用いた鋳造修復にもかかわらず、金箔充填に極めて近いマージンの適合を得ることができました。

タッカー先生は、スライドや実習を通して、仲間の歯科医師に、この技術と手順を丁寧に教えていきました。1970年にはフランク・アレン保存修復セミナーの指導医に任命され、1976年まで続けました。その年、カナダ・ブリティッシュコロンビア州バンクーバーとアメリカ・ワシントン州レドモンドで、歯質を温存する鋳造修復治療勉強会の指導医をお願いされました。この2つの勉強会に興味を持ったグループが、1978年にワシントン州シアトルで、1981年にはもう一つバンクーバーでさらに2つの勉強会を創設しました。

現在では、約55の勉強会がアメリカ・カナダ・イタリア・ドイツ・ペルー・日本で活動してします。

レドモンドクラブがスポンサーとなり、R.V.タッカー・スタディクラブとして組織されたのは、ワシントン州シアトルで1986年のことでした。以来、毎回違う勉強会が主幹となり年次総会を開いています。総会では、親睦会に加えて、鋳造物を合着もしくは金箔充填の臨床見学会と、金修復に関連した様々な講演会を行っています。保存修復学の発展に多大に貢献した傑出した臨床医は、ジョージ・エルスパーマン講演の演者に選ばれます。

この学会の第1の目的は、鋳造金修復(キャストゴールド)及び金箔充填(ゴールドフォイル)の技術を熟練する過程を通して、歯質を温存する歯科治療を実践することの素晴らしさを追求し、広めることです。ひとりひとりの臨床医は、生まれ持った才能を最大限に引き出す努力をすべきだと思います。この過程は、とてもゆっくりで、かなり長い期間の努力を要しますが、患者さんにとって有益あり、それは歯科医師として充実した人生を送ることにつながります。いくつかの勉強会では、金箔充填と鋳造金修復の概念をうまくブレンドし、すでに目的を達成しているものもあります。メンバーの中には、地元だけでなく、州・国境を越えて講演を行ったり、実習の講師として活躍している歯科医師もいます。

原文:History


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