学会の目標

学会が第1に掲げる目標は、歯科医師に対してタッカー先生が開発・改良した鋳造金修復(ゴールドインレー・ゴールドアンレー・ゴールドクラウン)の技術を正確に学ぶ環境を提供することです。

タッカー先生の信条は、高品質で長持ちする修復治療を行い、歯を温存することによって、患者さんの口腔内の健康を長期的に保つことであります。勉強会はこの卓越した歯学を追究する場所であり、鋳造金修復か金箔充填修復がこれらの技術を得るための材料となります。

学会の第2の目標は、この哲学と技術を歯科業界に広めること。そして、この治療法が適している患者さんに対して、この治療法を選ぶ利点に気づいてもらうことです。

このホームページが、R.V. タッカー・スタディクラブと、学会への参加を通して得られることの本質、を理解する手助けとなれば幸いです。鋳造金修復を用いた、卓越した臨床を追求することに興味が出れば、それもまた嬉しく思います。

スタディクラブに参加するのは、多くの忍耐と努力が必要なことですが、同時に、やりがいがあり、刺激的で胸がわくわくするようなことでもあります。そして、スタディクラブへの参加が、メンバー全員の臨床技術を向上させると願っています。学会への参加を通して経験する、メンバー同士の思いやりの心と、国境を越えた人々とのふれあいは、とても価値があり、後世まで伝えられるような経験になることと信じています。

タッカー先生とは?

Dr. Richard V. Tucker

リチャード V. タッカー先生は、R.V.タッカー・スタディクラブの創設者であり、ワシントン州ファーンデールの一般開業医です。アイダホ州オロフィノで生まれ育ち、1946年にミズーリ州セントルイスのワシントン大学歯学部を卒業しました。卒業後から開業までの2年間を海軍で過ごしました。

1950年、ジョージ・エルスパーマン先生は、最高品質の保存修復治療という考え方と、それは勉強会において患者さんへの治療を通して追求・共有するものであるということを、タッカー先生に紹介しました。タッカー先生は、この最高品質の保存修復治療の哲学に感銘を受け、当時未発達であった鋳造金修復(ゴールドインレー・ゴールドアンレー・ゴールドクラウン)に当てはめました。刷新的な治療方法と知識を組み合わせ、美術と科学を融合・進化させることで、窩洞形成のデザイン・治療手順を確立し、アメリカでは、「タッカーテクニック」として知られるこの鋳造金修復をこの世に生み出しました。

タッカー先生の治療法と治療結果が世に知られるに従って、この治療法を学びたいという要求が出てきました。こうして、カナダ・ブリティッシュコロンビア州バンクーバーとアメリカ・ワシントン州シアトルで、タッカー先生を指導医とする2つの勉強会が同時に創設されました。この2つの勉強会が中心となり、現在のR.V.タッカー・スタディクラブの基礎を作りました。

学会の成長は、高品質な鋳造金修復(キャストゴールド)と金箔充填修復(ゴールドフォイル)の概念・手技を教育する必要性があることを、自ら証明しているものですが、これはタッカー先生が、ひとりの歯科医師として、またひとりの人間として素晴らしい人格であることによるものである、ということも忘れてはいけません。彼はアメリカ国外でも活躍する講演者、教育者として、多くの賞を手にしてきましたが、彼の名声を上回るものはありません。タッカー先生は、歯科治療技術の才能がある紳士というだけでなく、同業者・仲間・患者さんをより良くするために、彼の人生を費やしてきた貢献者でもあります。

歴史

太平洋岸北西部における鋳造金修復スタディクラブの発展は、この地域で長く続いてきた金箔充填スタディクラブ活動の延長として生まれました。金箔充填スタディクラブからの影響はとても大きく、修復治療の質だけでなく、窩洞形態や審美性、仕上げの精度においての私たちの基準となっています。ここでは、新旧メンバー双方の刺激と励みになるよう、その歴史を振り返ります。

Dr. George A. Ellesperman

ワシントン州フェアデールで開業していたリチャード・V・タッカー先生は、ベリンガムのジョージ・A・エルスパーマン先生の影響を強く受けました。エルスパーマン先生はシアトル・デンタル・スタディクラブの創設メンバー12名の1人であり、その後バンクーバーの フェリエー・ゴールドフォイル・スタディクラブ の初代指導医を務め、タッカー先生は会員でした。エルスパーマン博士の引退後は、ジェラルド・D・スティブス先生が後任の指導医として勉強会を導きました。

これら2人の優れた臨床家の指導のもと、タッカー先生は鋳造金修復の研究を始め、金箔充填の勉強を通して培われた適合性、審美性、仕上げ、研磨といった原則を応用していきました。現代でも使われるエアー駆動の回転式切削器具が発明されたことにより、歯冠外・歯冠内の形成が容易になり、1/4ブロックごとの修復治療が日常的に行われるようになりました。切削器具の進歩による形成の効率化は、窩洞形成の大部分をバーで行うことを可能にし、壁面や床面の平滑化にもバーが用いられるようになりました。従来は多くが手用器具によって行われていた処置ですが、オフアングルチゼルや改良型ジンジバルマージントリマーの登場により、仕上げに必要な手用器具の種類は大幅に減り、形成の流れが合理化されました。

金箔充填の保存的な形成概念は鋳造金修復の要件に合わせて応用され、高速切削の普及とともに新しい窩洞形成のデザインが生まれました。これにより、歯質保存のために金箔充填と鋳造金修復を併用することが可能となりました。さらに、卵形の十二枚刃バーの使用は、保存的窩洞形成を大きく進化させ、より簡潔で効率的な形成を実現しました。

Dr. Gerald D. Stibbs

技工所での鋳造精度の追求によって、非常に適合性の高い鋳造物が作られるようになりましたが、それでもマージンが完全に理想的になることはありませんでした。そこでタッカー博士は、金箔充填の仕上げ手技をセメント合着後の鋳造物に応用し、より理想的なマージンを実現する方法を確立しました。

タッカー先生は講演会などで、自身の手技や考え方を惜しみなく共有しました。1970年にはフランク・アレン・レストラティブ・セミナーの指導医に就任し、1976年までその役割を務めました。同じ年には、バンクーバーとワシントン州レドモンドで鋳造修復の指導を依頼され、これが1978年のシアトルでの新クラブ設立、さらに1981年のバンクーバーでのスタディクラブ設立へとつながりました。

現在では、アメリカ、カナダ、イタリア、ドイツ、ペルー、日本において約五十五のアクティブなクラブが活動しています。1986年には、レドモンドクラブの主催により、スタディクラブを一同に集め学会としての年次総会がシアトルで初めて開催されました。それ以来、毎年異なるクラブが年次総会を主催し、鋳造金修復の装着や金箔充填、ゴールドに関する講演などの臨床セッションが行われています。また、修復治療に大きく貢献した臨床家が毎年ジョージ・エルスパーマン記念講演者として招かれています。

当スタディクラブの主目的は、鋳造金修復および金箔充填の熟達を通じて、保存的歯科医療の卓越性を追求することにあります。各メンバーは自身の技術を最大限に高めるべく努力し続けます。これは時間と労力を要する道のりですが、非常に充実感と達成感のある取り組みです。クラブによっては、金箔充填と鋳造金修復の技法を組み合わせた応用にも取り組んでおり、メンバーの中には世界的な学会での臨床発表やテーブルクリニックを行う者もいます。